2007-06

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生きにくい男の話  

※NO MARK ペーパー版 vol.1(2003年4月発行)掲載

 気になる男の人がいるんです。って何を告白してるんだ。
 それは定金冬二句集『一老人』(倉本朝世編)に登場する男である。読んでいると、とにかくいちいち突っ込みたくなるのだ。

     笑われているのでこちらから笑う

 他人の視線を気にしすぎである。大抵の場合、人は自分のことで忙しい。笑われているなんて錯覚なのだ。いや、事実、笑われていたとしよう。だから、こちらからも笑ってやるのだという。が、人を笑うような(「笑われている」には嘲笑のニュアンスがある)デリカシーのないやつらに笑い返したところで見ちゃいないだろう。無駄な労力である。 そのくせ、存在を忘れられたくはないらしい。 

     音たてて転べ誰かが見てくれる

 わざと転んでまで見てほしいのか。そんなふうにしか自分をアピールできないのか。だが、それもこれも自分がまいた種である。
 
    窓は閉じるためにある 一期一会

 窓はたった一度だけ開く。そのあとは閉じるだけ。人との繋がりをどこか信じていない。

    念を入れて薄情を押し通す

 この用心深さ。注意しないと情にもろいのが露呈してしまう。そして人との距離を測り間違えて、何人もの友人(らしき人たち)を失ったのだろう。

    憎み続けていることの酔い心地

 人間関係の破綻の責任が、自分にあると認めるのはしんどいことだ。それを回避するためには、相手をとことん憎むことだ。そして、そういう自分に酔いしれることだ。

    ふくらんでくるわたくしという小物

 人目を気にする視線は常に自分へも向けられている。どこまで膨らむのかなあと他人事のように眺めている。他人のように突き放すことで、かろうじて自分を嫌いにならないでいられるのだ。

    誰にも負けず誰にも負けて海を見ている

 誰にも負けたくなかった男が、人との比較に意味がないと悟って海を見ている。自分の小ささと向き合っている。ここに男の心の解放を見る。

    てのひらの汚れをてのひらでぬぐう

 ふつうは拭った汚れはきれいになったと思い込むのではないだろうか。そう思わなければ生きにくくてしょうがない。しかし、この男は拭ったほうの掌の汚れに気づいてしまう。せめて見ないふりをすれば楽なのに、永久に消えることのない汚れを纏いながら生きていくというのか。
 こんな男がそばにいたら疲れるだろうなあ。できれば近づきたくない。だが、どこかで見たことがあるような気がするのはなぜだろう。
 そうか、わたしだ。ここに書いてあるのはわたしのことだ。性別や年齢、時代、環境の違いを超えて、これらの句はそう語りかけてくる。だから、まったくなあと思いながら目が離せないのである。


相棒の矢島玖美子さんが書いた、定金冬二句集『一老人』の鑑賞文を
私のブログに転載させてもらいました。
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